1929年、東京市芝区三田に生まれる。小学校5~6年の頃、新潮社の世界文学全集を耽読したことが、後年長篇作家になる素地を培ったという。1942年4月、東京府立第六中学校入学。1943年4月、100倍の倍率を突破して名古屋陸軍幼年学校に入学するも、在学中に敗戦を迎えたため軍人への道が絶たれ、1945年9月、東京府立第六中学校に復学。同年11月、旧制都立高等学校理科に編入学。1949年3月、旧制都立高校理科卒業。同年4月、東京大学医学部入学。1953年3月、東京大学医学部卒業。東大精神科、同脳研究所、東京拘置所医務部技官を経た後に、1957年よりフランス留学を果たす。パリ大学サンタンヌ病院、北仏サンヴナン病院に勤務し、1960年に帰国。同年医学博士号取得。東京大学附属病院精神科助手を経て、1965年、東京医科歯科大学犯罪心理学研究室助教授。1969年から1979年まで上智大学文学部教授。
1968年、長編『フランドルの冬』の第一章を太宰治賞に応募し、候補作として『展望』に掲載されるが、その後全体を刊行、芸術選奨新人賞を受賞し、5年後の1973年には『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞を受賞、同年活躍した小川国夫、辻邦生とともに「73年三羽ガラス」と呼ばれたが、江藤淳がこれらを「フォニイ」(贋物、ここでは通俗という意味)で批判したため、江藤と平岡篤頼の「フォニイ論争」を引き起こした。
1979年から文筆に専念。1987年のクリスマス(58歳)に遠藤周作の影響でカトリックの洗礼を受ける。室生犀星とは7親等の血縁。死刑囚の苦しみを描いた『宣告』が代表作で、死刑廃止論者と見られている。2011年、文化功労者。現在、『新潮』にて『雲の都 第4部 幸福の森』を連載中。自宅は文京区本郷にある。
娘はQVCジャパンでショッピングナビゲーターをしている加賀真帆。
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なぜか加賀乙彦さんの本を読んでいるなう。
RT @yasu_hiwatari: Wikiを見ると加賀乙彦は遠藤周作の影響でカトリック信者になったように書いてあるが、実質は「メッカ殺人事件」の死刑囚で、加賀が勤務していた東京拘置所の独房で回心した正田昭(『宣告』の主人公のモデル)の影響だと思うのだが・・
Wikiを見ると加賀乙彦は遠藤周作の影響でカトリック信者になったように書いてあるが、実質は「メッカ殺人事件」の死刑囚で、加賀が勤務していた東京拘置所の独房で回心した正田昭(『宣告』の主人公のモデル)の影響だと思うのだが・・
RT @yasu_hiwatari: 作家で精神科医でもある加賀乙彦。この人の本は怖い。処女長編『フランドルの冬』では正常と狂気の境目が分からなくなって怖い思いをしたし、死刑囚を描いた代表作『宣告』では、執行のお迎えの場面を読んでいて比喩でなく戦慄したことを覚えている。今、新著『科学と宗教と死』を読んでいる。
作家で精神科医でもある加賀乙彦。この人の本は怖い。処女長編『フランドルの冬』では正常と狂気の境目が分からなくなって怖い思いをしたし、死刑囚を描いた代表作『宣告』では、執行のお迎えの場面を読んでいて比喩でなく戦慄したことを覚えている。今、新著『科学と宗教と死』を読んでいる。
加賀乙彦『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)読了。手軽に読めてしまうが、内容は充実している。ドストエフスキーとキリスト教に焦点を当てていて興味深いが、そこをもっと深くつっこんでほしかった。
32位『科学と宗教と死 (集英社新書)』(加賀 乙彦/集英社) 画:http://t.co/tTv2VYBh link:http://t.co/Mkdvea8Y
RT @together_meigen: 人間には残念ながら、自分より下の存在を作ることで不安や焦りを解消する性向があります。自分に自信がなく、人と比べて心のなかで優劣をつけている人ほど、いじめという行為に走ってしまう。(加賀乙彦『不幸な国の幸福論』)
@himatuu なるはるです。ホントに安心できてよかったですね。引っ越しお疲れ様でした。加賀乙彦さんの作品「科学と宗教と死」を読んでいて、原発事故に関しては今の政府の発表は戦前の大本営陸海軍部発表のラジオのように信用できない旨の記述(ものすごい意訳ですけど)で傷心中です。
加賀乙彦「科学と宗教と死」読了。あまりにすんなり読めてしまうんだけど、再読して噛みしめるものは多い。「死刑囚の記録」を読んだのはもう何十年前か(笑)いまだに私の中の加賀氏は颯爽とした青年医師の姿だ…小木先生というべきか
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