シリウスシンボリとは日本の競走馬である。1985年の東京優駿(日本ダービー)がおもな勝ち鞍。1985年から1987年にかけて約2年間ヨーロッパの競走に出走した。日本での主戦騎手は加藤和宏。
1984年9月16日、中山競馬場の新馬戦1着でデビュー。次走は斜行のため失格となり、3走目は2着と敗れるが、府中3歳ステークス、若葉賞と連勝した。皐月賞は馬主の和田共弘と調教師の二本柳俊夫の対立(シリウスシンボリ移籍事件、詳細は二本柳俊夫を参照)の影響で出走できず、若葉賞の次は東京優駿(日本ダービー)に出走し、皐月賞を5馬身差で優勝したミホシンザンが骨折で回避したこともあり単勝1番人気に推された。レースは荒れた重馬場の中、スダホークを3馬身差で下し優勝馬になった。
東京優駿(日本ダービー)後はシンボリルドルフに帯同して海外に遠征する予定であったが、シンボリルドルフが故障のため遠征を中止したことから、単独で渡欧した。日本に戻ったのは1987年の秋になったため、同世代の二冠馬ミホシンザンとは一度も対戦していない。海外では14走してバーデン大賞 (GI) 4着、フォワ賞 (GIII) 2着やロワイヤルオーク賞 (GI) 3着などの成績を残し、シーシック賞では1番人気に推されたが3着と勝利することはできなかった。また凱旋門賞にも出走し、結果はダンシングブレーヴの14着ではあるが、まれにみる高レベルのレースのなかで積極的にレースを運んでの14着である。
帰国後は1年ほどの間に6戦するが、勝利を挙げることはできなかった。なお、1988年の第39回毎日王冠ではゲート入り前にレジェンドテイオーとダイナアクトレスを蹴りレジェンドテイオーを発走除外にする事件を起こし、レース後に厩務員同士が喧嘩する事態にまで発展した。このレースではオグリキャップの2着と好走したが、次走の天皇賞(秋)7着後に骨折が判明し、引退した。
引退後は種牡馬入りしたが、気性難が災いしたのか京都4歳特別2着のオーシャンカレント、北斗盃優勝のベストファーザーが出た程度で活躍馬は出せなかった。種牡馬登録を抹消後は北海道日高町の沖田牧場で余生を過ごしていた。2012年4月8日午後十時に老衰のため、30歳で永眠。
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ジェンティルドンナ次元が違う( ̄▽ ̄)シリウスシンボリが勝ったダービーみたい
世界最高峰の競馬のレース・凱旋門賞に出走したことがあるもの ○:タップダンスシチー、ディープインパクト、エルコンドルパサー、マンハッタンカフェ、メジロムサシ │・ω・)<スピードシンボリとシリウスシンボリも出る?
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