ギャロップダイナは、日本の競走馬。1985年の天皇賞(秋)で、圧倒的1番人気の三冠馬・シンボリルドルフを差し切り一躍有名になった。また1986年の安田記念も制覇している。
同世代の代表馬にミスターシービー(牡馬三冠・天皇賞(秋))とカツラギエース(ジャパンカップ・宝塚記念)がいたが、本格化の時期がずれているため同じレースを走ることはなかった。
競馬ファンでもある明石家さんまが「一番好きだった馬」としてこの名前を挙げている。
デビュー戦となった1982年7月24日・新潟芝1000mの新馬戦こそ勝ったものの、次の勝利は9戦目(1年半後の1984年1月5日・中山ダート1200mの条件戦)とかなり時間が掛かってしまい、ミスターシービー・カツラギエース達が戦っていたクラシックとは無縁の存在であった。
その後、1985年前半までは芝・ダートともに出走し、芝でも1985年の安田記念で5着するなど健闘はしていたが、新馬戦以降の勝ち星の6勝は全てダート競走であった。安田記念の次走として出走した1985年6月9日の札幌日経賞ではスタート直後に東信二騎手を振り落としたにも関わらず、鞍上がいるかのように鮮やかな好位差しで最初に入線し、この年の年末スポーツ特番で紹介されている(記録上は、落馬後騎手が再騎乗しなかったため競走中止)。
1985年10月27日、『社台から八大競走に一頭も出さないのでは格好がつかない』という理由で天皇賞(秋)に急遽出走した。しかし前走の条件戦敗退が響き単勝人気は17頭立てで13番人気という低評価であった。社台関係者もギャロップダイナには大きな期待をかけておらず、当日東京競馬場に駆けつけたのは『誰も応援に行かないのはかわいそう』と思った吉田勝己だけであった。
しかしレースでは鞍上の根本康広(現・調教師)の好騎乗もあり、シンボリルドルフの他、同期の有力馬であるウインザーノット、ニホンピロウイナーらを差し切ってレコードで優勝した。シンボリルドルフを後方から差しきったのはギャロップダイナだけである。この激走は実況したフジテレビの堺正幸アナウンサーが『あっと驚くギャロップダイナ』と叫ぶほどだった。なお単勝配当が8,820円にも関わらず同枠に2番人気のウインザーノットが入っていたため、枠連は1番人気の430円という低配当だった。吉田勝己以外の社台関係者は、スワンステークスに1番人気で出走するシャダイソフィアの応援のため京都競馬場に行っていたが、ギャロップダイナ大金星の数分後に行われたレースでシャダイソフィアは骨折し、関係者の目の前で予後不良となってしまった。
ジャパンカップ・有馬記念ではシンボリルドルフの返り討ちに遭ったものの、翌1986年にはニホンピロウイナー引退で層が薄くなったマイル戦線をリードし、安田記念では柴崎勇(現・調教師)鞍上で、1番人気に応えて優勝。その勢いでフランスに遠征したが、ジャック・ル・マロワ賞12着、ムーラン・ド・ロンシャン賞10着と共に惨敗に終わった。帰国後は、天皇賞(秋)こそサクラユタカオーの4着に粘るものの、ジャパンカップはジュピターアイランドの10着に沈んだ。そして12頭中11番人気とブービー人気で迎えた有馬記念では見事ダイナガリバー(4番人気)の2着に入り社台ファームの産駒でワンツーとなった。これを喜んだ社台ファーム代表の吉田善哉はこの両馬を迎えての口取り式を行っている。またこのレースでは同枠に他の馬がいなかったため、枠連配当は8,100円の大穴となった。
有馬記念2着を手土産に引退したギャロップダイナは、種牡馬となった。種牡馬としては華々しい実績はないものの、マルマツエース(エプソムカップ)・オースミダイナー(北海道スプリントカップ)等の重賞勝ち馬を輩出。また、母の父としてもマイネソーサリス(愛知杯)を出す。地味ながらもその血を伝えている。
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カツラギエースの逃走かギャロップダイナの後方一気しか勝機はないけど、結局ルドルフが本気モードで圧勝が鉄板と予想。明日の展開にもよるけど。
@mistic 昔々は毎週朝から府中に出かけてました。 カツラギエースのJCはテレビでしたけど、ギャロップダイナの天皇賞は現地で観戦。ゴールの瞬間、府中競馬場をしーんと沈黙させたのは、カツラギエースとギャロップダイナだけじゃないでしょうか(笑)
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